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オミーレ
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岡山の名物菓子は、廣榮堂が安政(1854年 - 1859年)のはじめに考案したのというのが、説明として定文句となっている[4][注 2]。しかし、正確を期すならば、「廣榮堂の祖先」らが合作したものが先駆けであった。この廣榮堂は、以後、廣榮堂本店と廣榮堂武田に分かれて現在に至っている。郷土史家の岡長平の著書に詳しいが、それによると経緯は次のようなものである。
1855年(安政2年乙卯年)に岡山城下の町人が鳩首して、赤色のかきもち風の四角形の和菓子を茶請け用として製造した。うち1人は、岡山市古京町の唐津焼商売の名代の伴呂翁は[注 3]、廣榮堂を創立した武田家の一門(武田伴蔵の祖父)であった。この「かきもち状」の菓子は、嗜み用の非売品であったが、「無銘も如何かと、種々考えた結果、国称を付して《吉備だん粉(きびだん粉)》と名づけて吹聴」したのが今の吉備団子の起源である、と、ここまでが明治の風俗史研究家、紅の家お色(紅廼家お色)「きびだんご考」に記されているという。
参照:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E5%82%99%E5%9B%A3%E5%AD%90
こちらの商品は廣栄堂が製造しています。廣栄堂 きびだんご詳細はこちら
廣栄堂 中納言本店
岡山県 岡山市中区中納言町7-32
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